2011.10.02 ケルン天理文化工房 出演 Kölner Stadt-Anzeiger (ドイツ・ケルン新聞 掲載記事 )
 黒い衣裳をまとった前川十之朗は日本風な喉唄を奏でた。このコンサートにおいて、歌い手/太鼓奏者である前川が、伝統的でかつ先駆的な音楽演劇作品を披露することは衝撃的だった。続いてダンサーの前田新奈が、日本風の衣裳とフィンガーシンバルを身につけて登場した。前田はまるで飼いならされた獣の様に、鋭角で儀式的な踊りを披露した。太鼓、三味線、そして台詞なしの影絵芝居に夢中になった。後半に文楽人形が登場してからは、彼らのパフォーマンスは最高潮に達した。前田は黄金の衣裳をまとった大きな人形を背後から操った。この3人の表現者が披露する喉唄、太鼓、三味線の音色と同じく、非常に興味深い現象であるそのストイックな人形の表情は伝統的な要素の変質であるにせよ、異なる時空間からの贈り物であった。


2011.10.11 Gallery DEN出演 Westhavelländer (ドイツ・ブランデンブルグ州の新聞 掲載)
 今回のバニザージ(ギャラリーDEN Berlin)は、未國がパフォーマンスを行った。謡(前川十之朗)と人形(前田新奈)と云うシンプルな構成だったが、現代が伝統と出会う豊かな時間を提供してくれた。


07.3.28 三軒茶屋グレープフルーツムーン 所見“未國 卒塔婆小町”  舞踊批評家 やまの はくだい
 未國というグループは、日本的な題材、日本的な表現を大事にしています。何によらず西欧のものを取り入れることに熱心な風潮に逆らう姿勢が、私にはとても興味があります。日本の舞台芸術が西欧のものに関心を抱きはじめたのは、19世紀の終り頃からでした。坪内逍遥は西欧の手法で日本の題材を処理することを考え、20世紀の初めに日本の現代舞踊を創始した石井漠は、日本の題材を使った作品を多く発表しています。ところが、だんだんと西欧のものをそっくり輸入することに拍車がかかり、停まらなくなってしまいました。未國は、その西欧化への急傾斜にブレーキをかけてくれるのでしょうか。彼らの活動により、日本の題材、日本の表現がきちんと残されることを、それを海外にまで発信してくれることを、私は期待しています。(東京ダンススクエア)


07.12.08. 六本木オリベホール 所見 “幻夜の戀” (卒塔婆小町)  舞踊批評家  関口紘一
 前川の謡は、「百夜通い」の恋物語だが、素晴らしい声が圧巻。楽隊の演奏は今様だが、和のリズムを紡いだ。ヴィジュアル、リズム、声、ストーリーとどれにも「プリミティブな感性」を強烈に刺激された。能をミュージカル化して見せるかのような舞台だったが、今は絶滅してしまった浪曲的な世界の一部に触れた想いがして懐かしくなった。(チャコットウェブマガジンより)


08.11.28 吉祥寺シアター所見 “稀人” (折口信夫 死者の書より) 舞踊批評家 吉田悠樹彦
 今日のメディア文化の中でも同じようにアーティストたち民衆の芸能は電子メディアを通じて自由に発信をしている。この舞台をコンサートと芝居や踊りの境界線としてみてみるとプログラッシヴな要素もみえてくる。すなわち今日の楽器や演奏環境をたくみに取り入れながらライブアーツの可能性を実践を通じて追求しているのだ。そしてその試みは近現代に日本人が取り組んできたテーマとも重なってきている。アーティストたちの表情に未知の表現形式を探求しているような明るいいきいきとした精神の鼓動を感じたのは私だけではないだろう。(コルプス掲載 書苑新社)


2011.06.04 Theater Haus Berlin Mitte “GENBAKU Onomatopoeia”  ライター 東郷晴也(ベルリン)
 この作品は3.11の震災、そして原発が引き起こした問題とはそもそもなんの関係もない。たまたまこのタイミングの発表になっただけだ。『未國〜mi-kuni』は「原爆が落ちた」という事実を、少女の霊と老人の関係を通して淡々と伝え、少女が感じた恐怖と今を生きる老人に残る思い出をステージで再現していく。戦争経験者が語るような明確なストーリーはそこにはないが、原爆が落ちたその時と、現在にも深く残る爪痕を感じた。様々なオノマトペで彩られた”GENBAKU Onomatopoeia”を観て、原爆投下の事実を追体験するような、不思議な感覚を持った。世代はこれからも少しずつ少しずつ変わっていく。原爆を経験した者はいつかいなくなってしまう時が来るだろう。その時、私たちには何ができるのだろうか。『未國〜mi-kuni』のパフォーマンスは「記憶を伝える方法は文字だけではない」と強く訴えていた。(la-condition-japonaise)